Report File:2013.06
幾重にも塗り重ねられた色、動物のシルエット、そして植物をモチーフにした有機的な文様。現在注目を集める若手アーティストの1人、秋山幸さんの作品は、豊かな色彩がコラージュのようにキャンバスを埋め、様々なイメージを喚起させます。東京オペラシティ アートギャラリーで展示中の秋山さんは、2006年に本学大学院を修了し、2008年に北京中央美術大学へ留学。現在も海外を視野に活動を続ける秋山さんに、ご自身の制作や留学体験などを伺いました。
Profile
秋山幸 あきやま・みゆき
1980年岡山県生まれ。2004年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。2006年武蔵野美術大学大学院油絵コース修了。2007年第22回ホルベイン・スカラシップ奨学者。2008年から2010年まで北京中央美術大学実験芸術科研究生として留学。現在は東京を拠点に活動している。6月23日まで東京オペラシティ アートギャラリーにて、国内の若手作家の紹介を行うシリーズ「project N」で展示を行っている。
東京オペラシティ アートギャラリー
www.operacity.jp/ag/exh153.php
そこでしか感じられないことは、
その人でしか感じられないこと
Q 展示で発表された近作には唐草模様のような、植物をモチーフにしたパターンを見ることができますが、これは中国に渡って得た表現方法のようですね。留学経験が作品にも作用したわけですが、本学に在学中から海外への意識はありましたか?
秋山 在学中にヨーロッパを旅行して、ベネチア・ビエンナーレも見に行きました。そこで世界の端を見た気がして、美術を志すものとして、ここまで行かないといけないなっていう感覚がありましたね。大学院を修了後はギャラリーに所属し、海外へとアプローチをしていたので、一段とその意識は高まりました。日本だけでは頭打ちだし、絶対海外に行かなければって。でも、みんなが行っている場所はつまらないし、それまでアジアは全然見ていなくて。それで、アジアをきちんと見るべきだと思って、中国を選びました。
中国を考える前はドイツに行きたかったんです。でもドイツは漠然としているというか、自分との距離感が分からなくて。中国は、同じアジアで、自分のアイデンティティと近いと思えたのですが、ヨーロッパに行くなら西欧人のようにならないといけない、成功するためには西欧人と対等でなくてはいけない、と当時は考えていて。それよりも自分らしい打ち出し方をした方が、結果的にはヨーロッパで評価を得る近道だし、面白いんじゃないかって考え直したんです。それで、アジアの空間感とか東洋思想とかを学んだ方がいいと思うようになりました。
日本と海外という距離感ではなく、もう少しフラットに行きたいというか、肩肘張った感じではなく、フランクに行きたいと思っていました。中国じゃなきゃダメとか、ヨーロッパじゃなきゃダメというわけではなく、それも出会いであって、そこでしか感じられないことは、その人でしか感じられないことだと思うから、「どこがいい?」って他人に聞くのも大事だけど、自分で考えて行ったということだけだし、それでいいと思います。
ダメ元で渡った中国
Q 大学を出てからの留学でしたが、具体的にはどのような流れで北京中央美術大学への留学を実現されたのですか?
秋山 中国政府奨学金というのがあって、それを受けました。研究計画書と作品資料と現地の大学の内諾書を送って、それが通れば面接があります。中国語で質問されるのですが、なんとか覚えたての中国語で通過しました(笑)。
Q 現地からの内諾はどのように取得したのでしょうか?
秋山 大学を決めて、自分で直接取りに行きます。現地に住んでいる友達がいたので、その友達に希望の学科の先生のメールアドレスを聞いてもらい、それでメールをして、ダメ元で中国に行くという感じでした(笑)。水墨画科に入りたかったのですが、大学を訪れた時に担当の先生が休んでいて(笑)。それで実験芸術科に変更して、そこの先生からは「中国語が話せないけど、大丈夫?」って聞かれたのですが、「話せるようになります! 中国と日本の美術の違いをリサーチしたい!」ということを力説して内諾をもらいました。実験芸術科は、ほとんど絵を描かない学科で、聴講生として2年間受け入れられました。
最初の希望とは違ってしまったのですが、入ってから変更すればいいと思っていました。でも、いざ実験芸術科に通うと、刺激的で面白くって。そこは民間芸術とか限界芸術の資料を大量に集めているところで、それをもとにひたすら討論をするような学科で。みんなが熱く語っていて、私も促されるのですが、あまりしゃべれなくて。また、海外からキュレーターとか学芸員を招いた講義とかもあって、英語か中国語でしたが、日本では聴けないような講義もありましたね。
Q 当然中国語が基本になると思いますが、勉強はどうされましたか?
秋山 中国語は発音が難しくて、半年間勉強してから留学したのですが、全然話せなくて。現地でも語学学校に通いながら、大学に通っていました。ムサビにいた時に、アジアの美術や中国語の授業もあったと思うので勉強しておけばよかったと思いましたね。英語ももっとやっておけばよかった。それに図書館も充実しているし、あんなに美術の書物があるところはないし、もっと利用しておけばよかったと思いますね。
Q 制作はどのようにしていたのですか?
秋山 はじめは教室で1人で絵を描いていたので、それが目立っていて。同じ学科の子たちに「描いてる、描いてる」って言われるのが恥ずかしくて。それが嫌でアトリエは学外に借りました。そこまで大学の授業は多くなかったので、授業と制作が半々という日々でしたね。日本にいる時に上海のグループ展に参加したことがあり、留学中には同じギャラリーで個展も行うことができました。大学では、最後に留学生だけで中国をテーマにした展覧会を行いましたが、私は水墨画の模写を制作して2年間の集大成としました。私がいた時は日本人が15人くらいいましたが、他の人は建築や彫刻を学んで、制作を中心にしていましたね。
Q ほかの国の留学生との出会いや、現地の学生との出会いが刺激になったりはしましたか?
秋山 住んでいた所が大学の中にある留学生の寮みたいな所で、そこにみんな住んでいるので、飲んだり食べたり、交流会がありました。そこで違う国の文化を吸収したりしましたね。あと、同世代の中国人が何を考えているのかが気になったので、大学のアトリエをまわってどういう作品を作っているのかを探りました。そうすると同じような感覚を持った人もいるし、そこから作家との交流も生まれました。
自分のやり方、自分で決めたこと
Q 今回の展示もそうですが、アーティストとしてのキャリアを着実に積んでいる印象を受けます。アーティストとして活動していく強い意志はどのように培われているのでしょうか? 卒業時に就職などは視野にはありませんでしたか?
秋山 就職活動をしたこともあるけど、あまり興味がもてなくて。これからも絵を描いていくにはどうしたらいいだろうって考えたら、バイトをしてでも絵を描くしかないかなって。私が学生の頃は、まわりの仲間もアーティスト志望が多かったんです。その中にいると自然と話すこともアートについてだったり、そういう関係が今も続いている。1人ではなくて、みんなで切磋琢磨したり、相談する相手がいる環境を自分も望んでいたし、それをつくってきましたね。
Q 当然、壁にぶつかることもあると思いますが。
秋山 もうダメだって思って、やめちゃえと何度も思いました。今でも思いますけど(笑)。そういうことの繰り返しですが、結局、朝起きたら美術のことを考え始めて、ずっと考えているような感じなんです。オリジナルというか、自分のやり方でやらないと、自分が何をやっているかも分からないし、自分が決めたことに対して進んでいかないと、責任も取れないし、甘えにもなる。そういうことを感じますね。最初はアーティストになるしかないと思っていたのですが、違うこともできるんじゃないかって最近思い始めています。例えば子どもに絵を教えることを1年間くらいしているのですが、思ってもいないところから線が出てきたり、色が出てきたりとか、自分が意図しないような描き方をされる。それが普通に作家同士として興味深くて。そこから得るものも大きかったし、そういうワークショップをしたいと思うようになるきっかけでした。アーティストを軸に、いろいろやってみたいという気持ちで今は活動しています。
Q 最後に留学を通じて感じたこと、得られたことなどあれば教えて下さい。
秋山 海外にいると絶望的なこともあります。常に外国人として見られるし、語学の壁や制作の壁にもぶつかる。辛いこともありますが、それがむしろ人間らしいと思うんです。決められたことを当たり前のようにこなすより、日本にいては体験できない壁にぶつかるから、それで、改めて日本人であることを考えられたし、そういう機会は海外でなければ経験できないんじゃないかと思います。